仏暦2550年07月13日 金曜日
学校も子供の安全教育はいろいろやっている訳で、我が子も何をやったのかを家で開陳してくれたりします。で、その中の一つに、最近教室のテレビで流している防犯DVDに不審者対策のものがあるそうで、そのキメの踊りと言うか歌と言うのが面白かったそうな。曰く、
「おいしいお菓子に誘われたって 嫌だ 行かない 助けて〜!」
この歌に振り付けがついていて、廣島も思わず覚えてしまった訳なんですが、ふと気づいてみると、この歌のお菓子の形容詞って"おいしい"なんですね。一寸昔だったらば"甘い"だったことでしょう。
そう言えば、ちょいと前迄はこの手の防犯用語等で詐欺に注意を呼びかける標語に、
「甘い話にご注意」
と言うようなものがあったような。今だったらば、ここもやっぱり
「うまい話にご注意」
と言う表現になるものではあります。"甘い"と言う形容詞よりも"おいしい"と言う形容詞の方が訴えかける力がある、と見做されているのが現代であります。
とは言え、時は更に過ぎていくものであり、もう少々後の時代にはまた"甘い"と言うほうがインパクトがあるかも知れません。或いは、階級社会の登場が取りざたされています。上流の階級には"うまい"と言う形容詞が訴えかける力があり、下流階級には"甘い"と言う表現が訴える力が出てくるとかになるかも知れません。そして、その端境の時期には、このような警告の効力が少し落ちたりするものかも知れません。
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その警告や警報の類は、様々なリスク・マネジメントにおいて、マンマシンインタフェースやリスクコミュニケーションの観点から、問題になる所です。警告や警報が発信者の意図どおりにきちんと利用されると考えるのは素朴に過ぎるからです。大津波が来ることをせっかく刈り取って干してある稲束を焼いて村人に知らせたと言う中井常蔵の小説「稲むらの火」なんぞは、あまりにもロマンチック過ぎる話ではあります。もし村人たちが呑気だったらば、数名が駆け上がって様子を見ただけに終わったものでありましょう。
この問題が身に染みてしまった小さな事件が、先日廣島に起こったのであります。いつものように昼食を取るために勤務室を離れた廣島が自室に戻ってみると、時々
「ぷー」
と言う音が部屋に満ちているのを発見しました。構内一斉放送のスピーカーの調子が悪いのだろう、その内止むだろう、と思って、甚だ疲労していた事もあり、そのまま昼休み時間は爆睡したんであります。何しろ、つい先日「大腸過敏性症候群」の診断を貰ったばかりなものですから。
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